さみどりの鎌倉へ
昨日のイベントのこと。
新緑の鎌倉を訪ねた。大切な友人との大切な時間を美しい鎌倉で共有できるのを有り難うと感謝しながら。鎌倉駅からバスで二階堂(きっと二階建てのお堂があったのね)の杉本寺へ。三方を山で囲まれ、開けた南は海、という要塞そのものの鎌倉基本の地形は今でも変わらないから、つまり狭いのだ。道路が狭い、道が細い、そこへ観光用のバスをはじめとする車の往来が多いから車はしばしば渋滞する。
私たちの乗った市バスも衝突しそうな道路をすり抜けて行く。バス停を降りても人一人がすれ違えない歩道帯を身体をくねらせて歩くが、杉本寺はいきなり現れる。いきなり現れて突然のタイムスリップだ。縁起には天平時代、光明皇后、花山法皇、源頼朝と歴史上の人物の名が並び、国宝指定の秘仏や、運慶作の仏像、仁王などが普通に立っていらっしゃる。当時のままなのかすっかりすり減ってもう歩けない苔むした石段、かや葺きのお堂の中は暗いけれど特別な装飾もなく直ぐ間近に仏様が。秘仏として隠してしまわないこのお寺の姿勢が感じられる。
写生のペンを走らせるBさん、珍しい植物をいち早くみつけるSさん、雰囲気にひたる私、前日の雨に洗われみずみずしい風物を存分にデジカメに取り込んだ三人であった。
一時間近くを費やし次は100メートルほどの距離にある浄妙寺を訪ねる。足利義兼が創建したお寺、このあたり当時は足利一門が屋敷を構えていたのだそうだ。門の入り口で拝観料100円を納めたが、無人の受付には猫が一匹、きちんと門番をつとめている、先日訪れたときに彼の名が「ボク」というと聞いたが、今日も勤めを忘れずに端座しているところはさすが古刹にふさわしい「ボク」である。
綺麗に整備され、種類の多い季節の花が手入れの行き届いた形で咲いている。小さな名札もついている。本堂はそれほど古い感じはないが250年昔の建物で特徴のある屋根のカーブが美しい。裏には足利貞氏のお墓があるというが、あまり関心がないから奥へ登ってお目当ての「石釜ガーデンテラス」へ。http://www.ishigama.info/
お寺の境内にあるこの洋館を改造したレストランは、雰囲気とパンの美味しさが知られてランチ時には女性のグループで行列ができることもあるが、少し時間が早めだったのでイングリッシュガーデンの中のテラスに席をとることが出来た。パンが美味しくてもっと欲しかったがお代わりはないようだ、鎌倉ハムとサラダのメイン、筍のポタージュのランチ、あちこちを眺めながら美味しくいただいた。レストランから出口へは花の散策路があり、植物にくわしいSさんから次々に名前を教えて貰える。
道路をわたり少し奥まったところの報国時へ。
足利家時が開いた由、観光的には竹の寺として知られ、川端康成の「千羽鶴」の竹の音でも知られる。シャガが美しい参道を登ると、小さな石塔が数え切れないほど並んでいる、説明には由比ヶ浜から掘り出された新田義貞の鎌倉攻め戦死者のものだとある。鎌倉海岸の整備のために海岸近くを掘り起こすと人骨がぞろぞろ出るという話は良く耳にする。
庭に面した崖の中腹には鎌倉特有のやぐらがあり、足利家先祖の五輪塔が並んでいた。
報国時から少し歩くと華頂宮邸に突き当たる。現在は鎌倉市の所有となっているとのこと。明治の洋館を外のガラスから覗いて当時の貴族の生活を想像する。
道を戻り、住宅の間の狭い道を辿ると「田楽辻子」に出る、出来るだけ車の通らない裏道を辿り鶴ヶ丘八幡宮へ。
八幡宮ではお目当てがある。社殿の前におおきく建っている「静や静」の静御前の舞殿(当時はここではなかったと言われるが)を修理するために大きなカバーがすっぽり。そのためにその先の社殿も石段も有名な銀杏も隠れて見えなくなっているのを、誰かの知恵でカバーに実物大の舞殿の写真をプリントしてある。それを見ようというのだ。
これは圧巻、本日のメインイベントだった。
全てが心地よい鎌倉散歩、Bさん、Sさん有り難うございました。風邪と旅行で欠席のOさん、Kさん、次の機会にね。
新緑の鎌倉を訪ねた。大切な友人との大切な時間を美しい鎌倉で共有できるのを有り難うと感謝しながら。鎌倉駅からバスで二階堂(きっと二階建てのお堂があったのね)の杉本寺へ。三方を山で囲まれ、開けた南は海、という要塞そのものの鎌倉基本の地形は今でも変わらないから、つまり狭いのだ。道路が狭い、道が細い、そこへ観光用のバスをはじめとする車の往来が多いから車はしばしば渋滞する。
私たちの乗った市バスも衝突しそうな道路をすり抜けて行く。バス停を降りても人一人がすれ違えない歩道帯を身体をくねらせて歩くが、杉本寺はいきなり現れる。いきなり現れて突然のタイムスリップだ。縁起には天平時代、光明皇后、花山法皇、源頼朝と歴史上の人物の名が並び、国宝指定の秘仏や、運慶作の仏像、仁王などが普通に立っていらっしゃる。当時のままなのかすっかりすり減ってもう歩けない苔むした石段、かや葺きのお堂の中は暗いけれど特別な装飾もなく直ぐ間近に仏様が。秘仏として隠してしまわないこのお寺の姿勢が感じられる。
写生のペンを走らせるBさん、珍しい植物をいち早くみつけるSさん、雰囲気にひたる私、前日の雨に洗われみずみずしい風物を存分にデジカメに取り込んだ三人であった。
一時間近くを費やし次は100メートルほどの距離にある浄妙寺を訪ねる。足利義兼が創建したお寺、このあたり当時は足利一門が屋敷を構えていたのだそうだ。門の入り口で拝観料100円を納めたが、無人の受付には猫が一匹、きちんと門番をつとめている、先日訪れたときに彼の名が「ボク」というと聞いたが、今日も勤めを忘れずに端座しているところはさすが古刹にふさわしい「ボク」である。
綺麗に整備され、種類の多い季節の花が手入れの行き届いた形で咲いている。小さな名札もついている。本堂はそれほど古い感じはないが250年昔の建物で特徴のある屋根のカーブが美しい。裏には足利貞氏のお墓があるというが、あまり関心がないから奥へ登ってお目当ての「石釜ガーデンテラス」へ。http://www.ishigama.info/
お寺の境内にあるこの洋館を改造したレストランは、雰囲気とパンの美味しさが知られてランチ時には女性のグループで行列ができることもあるが、少し時間が早めだったのでイングリッシュガーデンの中のテラスに席をとることが出来た。パンが美味しくてもっと欲しかったがお代わりはないようだ、鎌倉ハムとサラダのメイン、筍のポタージュのランチ、あちこちを眺めながら美味しくいただいた。レストランから出口へは花の散策路があり、植物にくわしいSさんから次々に名前を教えて貰える。
道路をわたり少し奥まったところの報国時へ。
足利家時が開いた由、観光的には竹の寺として知られ、川端康成の「千羽鶴」の竹の音でも知られる。シャガが美しい参道を登ると、小さな石塔が数え切れないほど並んでいる、説明には由比ヶ浜から掘り出された新田義貞の鎌倉攻め戦死者のものだとある。鎌倉海岸の整備のために海岸近くを掘り起こすと人骨がぞろぞろ出るという話は良く耳にする。
庭に面した崖の中腹には鎌倉特有のやぐらがあり、足利家先祖の五輪塔が並んでいた。
報国時から少し歩くと華頂宮邸に突き当たる。現在は鎌倉市の所有となっているとのこと。明治の洋館を外のガラスから覗いて当時の貴族の生活を想像する。
道を戻り、住宅の間の狭い道を辿ると「田楽辻子」に出る、出来るだけ車の通らない裏道を辿り鶴ヶ丘八幡宮へ。
八幡宮ではお目当てがある。社殿の前におおきく建っている「静や静」の静御前の舞殿(当時はここではなかったと言われるが)を修理するために大きなカバーがすっぽり。そのためにその先の社殿も石段も有名な銀杏も隠れて見えなくなっているのを、誰かの知恵でカバーに実物大の舞殿の写真をプリントしてある。それを見ようというのだ。
これは圧巻、本日のメインイベントだった。
全てが心地よい鎌倉散歩、Bさん、Sさん有り難うございました。風邪と旅行で欠席のOさん、Kさん、次の機会にね。